「パパ―、一緒にお風呂入ろう」
ある日、娘に誘われて一緒にお風呂に入ることになりました。
すると、娘から思いがけない言葉が。
「今日は私がパパの体を洗ってあげるー」
普段は私が娘の体を洗うこともあるのですが、この日は立場が逆転です。
背中を洗ってくれたり、かがみながら足を洗ってくれたり。
ところが、途中で娘の手が止まりました。
「疲れたー。あとは自分でやって」
最後まで洗ってくれる予定だったのかは分かりませんが、どうやら思った以上に大変だったようです。
理学療法士として振り返ると、大人の体を洗う動作には、腕や足を動かすだけでなく、姿勢を変えたり、バランスを保ったりする要素もあります。
今回は、そんな娘とのお風呂で感じた、体を動かすことの難しさと、子どものちょっとした成長について書いてみます。
娘から突然「今日は私が洗ってあげるー」
我が家では、ときどき私が娘の体をフルコースで洗うことがあります。
そんな普段のお風呂とは反対に、今回は娘が私を洗ってくれることになりました。
まずは背中。
それから、かがんで足も洗ってくれました。
小学生の娘にとって、大人の体は自分よりずっと大きなものです。
背中を洗うにも、足を洗うにも、手を動かす位置が変わります。
普段何気なく行っている「体を洗う」という動作ですが、洗う相手が変わるだけで、必要な動きも変わってきます。
そして、途中で出てきたのが、あの一言でした。
「疲れたー。あとは自分でやって」
なるほど。
大人の体を洗うのは、子どもにとって結構な運動になるのかもしれません。
なぜ疲れた?理学療法士パパが体の使い方を考えてみた
病院で理学療法士として働いていると、日常生活の中にある何気ない動作も、身体の使い方という視点から見ることがあります。
今回は、娘が背中や足を洗う様子を振り返って考えてみました。
① 背中を洗うには、腕を動かし続ける必要がある
大人の背中を洗うには、洗う場所に合わせて腕を伸ばしたり、上下左右に動かしたりする必要があります。
子どもにとっては、相手の背中が大きいほど、手を動かす範囲も広くなる可能性があります。
腕を伸ばした状態では、腕そのものの重さを支えるためにも筋肉が働きます。
さらに、洗う動きを繰り返すと、肩や腕に負担がかかることも考えられます。
② 足を洗うときには、姿勢が大きく変わる
今回、娘はかがみながら私の足を洗ってくれました。
かがむ動作では、股関節や膝を曲げて、体の位置を低くします。
また、体を前に倒したり、手を伸ばしたりすると、体の重心の位置も変化します。
重心とは、体の重さが全体として集まっていると考えられる位置のこと。
体の位置を変えながら手を動かすには、姿勢を保つための調整も必要になります。
背中を洗うときとは、また違った身体の使い方です。
③ 同じ姿勢で頑張ることも疲れにつながる
背中を洗う、かがんで足を洗う。
一つひとつは難しくない動作でも、続けて行うと疲れる場合があります。
例えば、腕を伸ばした姿勢を保つことや、かがんだ姿勢を続けることにも、筋肉の働きが必要です。
大切なのは、今回の娘の「疲れたー」を、単純に筋力不足や体力不足と決めつけないこと。
もしかすると単純に飽きたのかもしれません。
洗う範囲、姿勢、動く時間、慣れなど、いくつもの要素が関係していた可能性があります。
何より、娘が自分で疲れに気づき、言葉にしてくれたことも大切なポイントでした。

お手伝いを途中でやめても、今回はそれでよかった
娘から、
「疲れたー。あとは自分でやって」
と言われたとき、私は最後まで洗うようには言いませんでした。
代わりに伝えたのは、
「ありがとう。またよろしくね」
という言葉です。
せっかく自分から「洗ってあげる」と言ってくれたので、無理に最後まで続けさせる必要はないと考えました。
今回の目的は、私の体を全部洗ってもらうことではありません。
娘が自分からやろうと思ってくれたこと。
そして、実際に洗ってくれたこと。
私は、その気持ちを大切にしたかったのです。
もちろん、感謝を伝えたことで次のお手伝いへの意欲が高まったかどうかは分かりません。
それでも、これからも気軽に「やってあげる」と言える関係でありたいと思います。
娘が洗ってくれたのは、返報性の法則?
ここで、もう一つ考えたことがあります。
それは、なぜ娘は私の体を洗おうと思ったのか? ということです。
普段、ときどき私が娘の体をフルコースで洗っていることが関係しているのかもしれません。
心理学や社会心理学では、誰かに何かをしてもらうと、相手にも何かを返そうとする働きを「返報性」と呼びます。
子どもにも、助けてもらった相手を助けようとする行動が見られることが研究されています。
ただし、今回の娘が返報性によって行動したのかどうかは分かりません。
単純に、私の体を洗ってみたかっただけかもしれません。
あるいは、普段やってもらっていることを、自分でもやってみたかったのかもしれません。
本人に理由を確認したわけではないので、ここは私の仮説です。
それでも、親が普段していることを、今度は子どもがしてくれる。
そんな親子のやり取りが生まれたことは、うれしい出来事でした。
「あ、トリートメント落とさなきゃ」に感じた成長
私が体を洗い終え、さあ湯船に入ろうかというときです。
娘が突然、思い出したように言いました。
「あ、トリートメント落とさなきゃ」
これも、今回のお風呂で印象に残った言葉でした。
以前は親が声をかけることもあったようなお風呂の手順を、自分から思い出せるようになってきたのかもしれません。
理学療法士として考えると、お風呂には意外と多くの手順があります。
体を洗う。
髪を洗う。
トリートメントを使う。
洗い流す。
こうした一連の動作には、次に何をするのかを覚えておくことや、必要なタイミングで思い出すことも関わります。
今回は、娘が自分で「トリートメントを落とす」という次の行動に気づきました。
父親としては、こういう何気ない一言に成長を感じるものです。
その後も、ときどき洗ってくれるように
あの日、娘が最後まで私の体を洗うことはありませんでした。
それでも、その後のお風呂では、ときどき娘が私の体を洗ってくれることがあります。
反対に、娘から「洗ってー」とお願いされることもあります。
今のところ、私が洗ってもらう日もあれば、娘を洗う日もある。
そんな関係です。
いつか大人の体を全部洗えるくらい、いろいろな動きに慣れたり、体力がついたりする日が来るのかもしれません。
ただ、今は全部洗えることを目標にしなくてもいいと思っています。
娘が洗ってあげたいときに、できるところまで洗ってくれる。
それだけでも十分ありがたいことです。
子どもがお風呂でお手伝いをするときに大切にしたいこと
今回の体験を振り返って、家庭で取り入れるなら、次のような工夫が考えられます。
できる範囲だけお願いする
最初から大人の体を全部洗ってもらう必要はありません。
背中の一部分など、子どもが無理なく手を動かせる場所だけでも、お手伝いとして十分だと思います。
立ち上がったり、無理に手を伸ばしたりしなくても届く範囲を選ぶことが大切です。
疲れたら途中で交代する
「疲れた」と言えたら、無理に続けさせない。
今回、私が娘に最後まで洗うよう求めなかったのも、この考えからです。
疲れを感じているのに頑張り続けるより、自分の状態に合わせてやめるという判断も大切にしたいと思います。
できた量より、やってくれたことに感謝する
全部洗えたかどうかよりも、洗ってくれたことに対して「ありがとう」と伝える。
今回の私の対応が最適だったと断言はできません。
それでも、次にまた娘が「洗ってあげる」と思ってくれるような関わりを続けていきたいです。
まとめ|全部できなくても、娘の成長を感じたお風呂
今回は、娘が私の体を洗ってくれたお話でした。
「今日は私がパパの体を洗ってあげるー」
そんな優しい言葉から始まったお手伝い。
途中で、
「疲れたー。あとは自分でやって」
となってしまいましたが、大人の体を洗う動作を振り返ると、子どもにとって意外と大変な理由も見えてきました。
そして、最後に娘から聞こえた、
「あ、トリートメント落とさなきゃ」
という言葉。
自分で次にすることを思い出せるようになってきたことにも、成長を感じました。
今回気づいたのは、子どもの成長は「最後までできた」という結果だけでは測れないということです。
誰かのためにやってみたいと思うこと。
途中で疲れたと伝えられること。
自分で次にやることを思い出すこと。
何気ないお風呂の時間にも、いろいろな発見がありました。
また娘が「洗ってあげるー」と言ってくれる日を楽しみにしています。
この記事は理学療法士である私の家庭での体験と、身体・認知に関する一般的な知識をもとにまとめています。娘が疲れた原因や行動の動機を医学的・心理学的に特定したものではありません。


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